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スズキ的イチニチ
第38話
「賛否両論」
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「 賛否両論 」
床屋さんでは白髪染めが欠かせない35歳です。
白髪染めを止めると皆さんがビックリするほどのホワイトマンです。
さらに頭頂部が「毛が繊細になりましたね」とやんわり理容師サンに言われた事が
今でも心に突き刺さっているナイーブな鈴木です
「モノは言い方だな、、、ショックです。薄くなったとはっきり言え!!!」
さて今回の前フリはここまでにして本題の「賛否両論」です。
ちょっとディープなお話ですが、今年の1月に私の父親が他界しました。
母親は10年前に他界していましたが元々親子関係は皆無に近い常態の間柄で
闘病生活の際もほとんど顔を見せる事の無いとんでもない親不孝モンでした。
しかし父親の症状が悪化し「1ヶ月以内がヤマだ」と宣告されお見舞いに向かった時、
親父のいたたまれない姿に言葉では表現できない感情が抱きました「残酷でお前は最低だ」
といわれるかもしれませんが、「もう人間ではない」と正直思ってしまいました。
いろんなチューブが鼻や口や喉に突っ込まれ機械に生かされている状態に看護婦さんが
「声を掛けて上げて下さい」と私に言いました。その時は「親父!」と声をかけましたが 本心としては機械の電源を全部切ってやりたいと本気で思いました。
快復の見込みが無いのに苦しませているだけなのは果たして誰が幸せなのか?
残された家族の負担、親父本人の悲痛な苦しみ、「生かしておく」「生かされている」
各々の感情に全くの希望と幸せを感じ取れるものは無いと思いました。
ある条件を満たせないと「安楽死」が認められていない日本の現状にある種の「残酷さ」を
親父の「死」で感じ取りました。
ココからが「賛否両論」ですが、 初めに「私はペットの老化による安楽死はやも得ない派です」
私は心ある生き物を扱う商売ですので何度か「生死」を体験する事があります。
年老いた老犬の介護が一般的ですが皆様大変苦労されています。
ペット医療の進化とペットフードの高品質化により私がこの業界に足を踏み入れた16年前に
比べれば驚くほどの進化だと思います。その進化に伴い新しい問題は老犬の介護です。
皆様のお話を聞くと
「誰が飼い主か分からないほどにボケてしまった」
「耳が聞こえなくなって夜中に大きな声をずーと吠えっぱなし」
「足腰が立たなくなって寝たきりで排泄の繰り返し」
そのストレスで家族崩壊が現実に存在します。特に大型犬、中型犬では顕著に現れています。
私の私論ですが「お互い不幸ならば私は安楽死を選びます」ペットが飼い主を認識しない
ペット介護による家族の負担、全てにおいて不幸ならば私は安楽死を選びます。
一番の理想は安らかな老衰ですがその確率は残念ながら少ないと思います。
「ペット屋なのに何を考えているんだ」と言われるかもしれませんが
私の愛犬にはそうすると思います。 それは愛犬の気持心情を汲み取れるほどの信頼関係がある
と自負しているからです。
だから愛犬に最後の最後に不幸な思いはさせたくないし
愛犬も私に望んでいないと思っています。私のエゴかもしれませんが
私なら愛犬に安楽死を選んであげたいと思っています。
ただ誤解しないで頂きたいのですが「むやみに安楽死を選んでいるわけではありません」
老後においてのみです。
その老後も全てにおいて不幸ならばという条件付です。それ以外のものは動物虐待です。
心ある動物だからこそ皆様も今後の事をよーく考えて頂きたいと思います。
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