「 不 」
3/11は日本並びに世界が変わった歴史的な一日になりました。
直接被災された地域の皆様に至っては心からお見舞いを申し上げるしか言葉がございません。
私の父方の実家が仙台市青葉区で津波の被害はありませんでしたが、地震の影響でライフラインが寸断されていて大変不自由な生活が続いていると報告がありました。
何はともあれ命があっただけでも良かったです。ほんの数時間で当たり前の生活や家族、財産、友人などを強制的に失わされ、残った人には終わりの見えない別次元の生活が待ち受けています。どこぞの政治家がこれは「天罰」だと言っていましたが、もしこれが本当に天罰ならば神様は究極のサディストと言わざるをえません。
昔、尊敬している上司から言われた言葉で自分に起こる全てのことは自分にとって「必要なことで必然でベストなこと」と言っていました。所謂何事にも前向きに自分にとってプラスなことだと思えというお話で、私は今まで自分に起こるすべてのことは自分のこれからの人生においてプラスなことと素直に思ってきましたが、この地震でもし私が当事者であったならば決してプラスには考えることができないと思います。
当たり前が当たり前でなくなる瞬間と現実、残された感情は絶望しかありません。今の状況で被災者の方に「頑張って」とは口が裂けても言えません。
正直今の私にできることは寄付を行う事しか出来ません。ネットや携帯などにたまっていたポイントを現金化して送ることや単純に現金を募金をすることしかできません。
昔、私は寄付や募金、ボランティアなどは正直好きではありませんでした。
実際募金したお金が本当に困っている人にいきわたっているのか疑問があったからです。
そして一つの持論の考え方としてボランティアは裕福で生活に余裕がある方がすればいい、もし余裕がない人が行えば今度はボランティアされる立場になってしまう。という勝手な考えが私の中にあったからです。実際被害が及んでいないからこそこうやってのん気なことをかけているのかもしれません。
当たり前の生活が当たり前でなくなる、
普通の生活から超不便な生活になる、
知らず知らず生活の当たり前が普段の生活の基準になっているため普段以上に不便さを感じています。
被災された方に比べれば電気が思うように届かないくらいなので文句はありませんが、たかが電気だけで不便さ極まりないです。
被災された方は家も財産もそしてすべてのライフラインも遮断されたわけですからこちらの生活に比べれば想像したくないレベルの生活を余儀なくされていると思います、こちらはまだ裕福なのかもしれません。一日でも早く復興ができるようできる限りの応援はこれからも会社として個人として行っていきます。
がんばろう日本!!