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スズキ的イチニチ

第111話 「魂のレベル」





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「 魂のレベル 」

散歩日和の毎日で何よりです。季節の変わり目は体調を崩しやすい季節です。
温度変化には十分気を付けてお散歩に行きましょう、寒がりのワン子を洋服を着せることもいいと思います。

今年で私41歳になりました。小学生の頃は41歳の方は十分おっさんでしたが今、私が41歳になって感じることは頭の中は中学生のままで止まってしまっていて体だけが思った通りには動きません。多分60歳70歳になっても頭の中は変わらないままなのか。学生時代は一日の時間がやたら長く感じ社会人になってからは一日の時間がやたら短く感じ仕事をリタイヤするころには時間の感じ方はどうなっているんでしょうね。また子供のころのように長く感じるのでしょうか?その時その時置かれている立場や環境によって多分時間の概念が変化するんでしょうね。

人間はある程度寿命があると思われます。人生約80歳、29200日 1752000時間 105120000分ですね。寿命は増えることなく減る一方であり毎日がカウントダウン。人の幸せの基準は人それぞれ、お金持ちでも不幸せな方は多くいらっしゃいましたし、人よりお金が少なくても人がうらやむほど幸せそうに生活している方も多くいらっしゃいます。限られた人生という時間の中で心の底から充実した人生を送れている方って一体どのくらいいるのでしょうか?
自分自身充実しているのか?何をもって充実なのか?今の生活が不幸せなのか?何をもって不幸せなのか?人と比べることで幸せ不幸なのか?毎日楽しい仕事があって家に帰ればご飯があり出迎えてくれるわんこ達がいる人に言わせればこれ以上ない幸せなことなのかもしれません。でも自分の人生で満足できない衝動に駆られるというのはなぜなのか?これが煩悩なのか?私だけなのかもしれませんが欲深い魂の塊なのかもしれませんし魂のレベルが低いのでしょう。

その点、犬たちは約人間の時間より4倍も速いスピードで人生というか犬生を生き抜き飼い主に見返りを求めない無償の愛情で接しようと健気に尻尾を振りまきます。気分が優れないときはそばに来て慰めてもくれますし夫婦喧嘩をすれば仲裁もしてくれますお散歩に行けば喜びを大爆発しうれしさを飼い主にアピールしてくれます。なんでこんなに魂のレベルが高いのか?無償の愛を提供し自己犠牲も厭わない犬たちに人間は学ぶことが多すぎるように感じます。
先日も今までVIP会員様で10年以上ご利用いただいていたお客様がある事情で犬を飼えなくなったと電話してきました。「もう家では飼えない、犬を連れていけないし家族も面倒を見てくれない、なんとなならない?」10年以上家族として過ごしてきたのに人間の事情で簡単に決断できる残酷性と非情さに呆れるばかりです。家族ってなんなんですかね?お金持ちの家なのに心は不幸せのようです。今はただ新しい飼い主様が見つかることと捨て飼い主の因果応報を願うばかりです