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スズキ的イチニチ
第97話
「考え方と価値観」
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「 考え方と価値観 」
以前にも書いたことがあるのですが、世の中にいるワンコは人間の都合がいいように「品種改良されたワンコしかいない」と言っていいと私は思います。「ある犬種は狩をするお供として」「ある犬種は猫やネズミの駆除用として」「ある犬種は羊を誘導させるためとして」「ある犬種は観賞用として」犬が元来持っている特性を重点的に血を濃くし近親交配を繰り返し血統を確立され血統書が作られ純血種として世の中に存在します。
世の中にいる犬は人間の都合がいいように作られた為、今までは(大昔)自分で生きていける術があり自分の管理は自分でしてきましたが品種改良された犬は自分で自分の手入れが出来なくなってしまいました。爪を切ったり耳毛を抜いたり肛門腺を絞ったり抜毛や毛玉の除去は今のワンコ自身では出来なくなってしまいました。ワンコの健康管理をするのは人間の役目ですし飼い主の責任と思っております。
ここまでが以前書いた事のあるコラムですが、この頃犬の幸せってなんなのか考えさせられる事がありました。
先日散歩していたら綺麗にカラーリングされたワンコを見ました。
あまりにも綺麗だったので自然と人が集まり犬もうれしそうに尻尾を振って愛想を振りまいて人気者になっていました。ただ人だかりの中の一人が「かわいそうに色なんか付けられちゃって」とボソッと一言、空気が一変しました。
発言した人はその場の雰囲気を察し居たたまれなくなったのかそそくさとその場から離れ、人だかりもすっかりいなくなってしまいました。
犬にとって可哀相は何なのか?カラーリングがいけないのか?
私はそうは思いませんが人によっては可哀相に感じるのかもしれません。
先日もニュースで盲導犬が怪我をさせられる事件がありました。
一説には皮膚病一説には刃物で傷つけられた真相は分かりませんが、もし刃物で怪我をさせられたのならば「なんてひどい事をするんだ」と思います。当然皆さんも同じように感じると思います。喋れる事が出来ない犬が目が見えない盲目の方のお供としてじっと耐えている犬の事を考えると居たたまれない思いになります。
ただこのニュースも人によっては見方や感じ方が違うという事があるんです。
怪我をさせられたのならば可哀相だが、本来ならば自由に遊びまわって生きている犬の方が犬らしい生き方をしているのではないか?
強制的に訓練をさせて服従をさせる方が虐待ではないか?
可哀相ではないか?という議論がネットで繰り広げられていました。
私としてはそういった見方もあるのかと考えさせられました。
犬と正確に会話ができる機会が作られれば犬の本懐がわかると思いますが、本当に犬にとって幸せが何なのかわからなくなる時があります。私の持論ではございますが、この業界に20年余り携わってきて思う事は、犬の表情やしぐさや雰囲気を見て犬が喜んでいるのか?幸せなのか?何となくわかる気がします。
トリミングが終わって飼い主様がお迎えにいらっしゃった時のワンコの喜び方を見ると「心から飼い主様を信頼しているんだな」と感じますしワンコはワンコで言葉がしゃべれない分、表情やしぐさをフルに使っていじらしく愛情表現をしている姿に飼い主様も信頼されているんだなと感じます。
動物と人間がお互い信頼関係で結ばれ傍から見ても幸せそうに感じます。
ただ犬の方が一生懸命飼い主様に寄り添おうと頑張っているにも関わらず保健所に連れて行く人も後を絶ちません。ワンコを都合いいように品種改良して自分で犬と一緒に生活しようと購入もしくは譲り受けているにもかかわらず捨てることができる人間がやはり一番怖い存在で残酷ですね。